森の奥に入ると、湿った空気が肌を撫でていく。
この日は気温が高く、虫たちの動きもどことなく重かった。
シダの葉の上に淡い光とひと塊、虫が乗っている。
トホシカメムシの交尾ではないか。
黄褐色の体に十個の黒い斑点。
カメムシの中ではかなり大きい部類で、存在感もある。
前胸の両側から突き出す鋭い側角は、まるで鎧の肩当てのようだ。
交尾中の彼らは互いに尾端をつないだまま逆向きになり、
体を固定するようにじっとしている。
外敵に襲われないよう極力動かずに過ごすこの時間は、
撮影者にとっては彼らの体のつくりをゆっくり観察できる貴重な瞬間でもある。
トホシカメムシは、北海道から九州まで広く分布し、広葉樹林の周辺でよく見られる。
寄主植物はニレ、サクラ、カエデ、ミズキなど多岐にわたり、成虫も幼虫も植物の汁を吸って暮らす。
そのため果樹園などでは害虫として扱われることもあるが、
森の中では淡々と季節をくぐり抜ける、ただの一昆虫だ。
彼らの一生の中でこうして命をつなごうとする瞬間は、
ほんのわずかな期間にすぎない。
夏の森の一枚の葉の上で、小さな昆虫が未来へバトンを渡そうとしている。
それを見届けるだけで、静かな満足感が胸に広がった。
僕がシャッターを切る理由は、案外こういうところにあるのかもしれない。
どちらかといえば派手さも人気もない生きものが、
森の片隅で確かに営みを続けているというただそれだけの事実が、
僕にとってはとても尊い。

