9月のある日、GR IIIを片手に森を歩いた。
木々の間からこぼれる光はやわらかく、
夏の名残と、秋の気配が静かに混ざり合っていた。
森には、きおくがある。
けれどそれは、人間のように言葉で残されるものではない。
動物によって削られた木の幹、
倒れてなお苔に覆われた倒木、
光を求めて伸びた一本の枝。
そのすべてが、森の記録だ。
長い時間の中で、森は失ったものを嘆かず、
ただ新しい命を受け入れていく。
それは忘却ではなく、“変化という名の記憶”なのだと思う。
自然は、意識をもたない巨大な記憶装置だ。
人間の記憶は形を失いやすいけれど、
森の記憶は、いつも目の前に、確かに在る。
カメラを向けるたびに思う。
撮っているのは風景ではなく、
この地に積もった、時間そのものなのだと。

小さなカメラが捉えた光の中に、
森が生きてきた時間の層が、
そっと浮かび上がるような気がした。