しばらくこちらのホームページを更新できずにいました。
そのあいだも、森を歩いたり、写真を撮ったり、
自然に関わる仕事を続けていました。
季節がいくつか過ぎて、
ようやく少しだけ心に余白ができた気がします。
また少しずつ、こうして日々のことを綴っていけたらと思います。
この時期になると、いつも鹿追町を思い出す。
大学生のころ、馬鈴薯の収穫バイトで何度も訪れた土地だ。
朝もやのなか、冷たい風が畑を渡っていく光景を、いまでもはっきり覚えている。
鹿追の奥には然別湖がある。
その周辺は「苔の森」とも呼ばれていて、
倒木や岩を覆う苔の上に、しっとりと霧が降りてくる。
森全体が、静かに呼吸をしているような場所だ。
この写真は、その森の中で撮ったもの。
霧の向こうに立っているのは、エゾマツ(Picea jezoensis)の森。
枝が下向きに垂れて、幹の上の方まで枝が詰まっている。
アカエゾマツも近くに生えていることが多いけれど、
あちらは枝が少し上を向いていて、幹も赤みを帯びている。
乾いた場所を好むのに対して、
こうした湿った霧の森では、やっぱりエゾマツのほうがしっくりくる。
湿った空気の中に立っていると、
木々がすぐそばで息をしているように感じる。
静けさの中で、森と自分の境界が、
すこしだけ曖昧になる瞬間がある。

森を歩けるということ。
季節がめぐるたびに、森の色が変わっていく。
光の射し方も、風の匂いも、昨日とは少し違う。
だけど、その変化をこの足で見に行ける時間は、
思っているよりも短いのかもしれない。
体って不思議だ。
使わないと、すぐに鈍っていく。
研究では、何もしなくても一年で1%ずつ筋力が落ちるという。
寝てばかりいると、たった一週間で10〜15%も筋力が下がるらしい。
数字の話を聞いてもピンとこないけれど、
「森の奥まで歩けなくなる日が来る」と思うと、
それは少しだけ、切なく感じる。
だからこそ、歩く。
無理をするわけじゃない。
カメラを肩にかけて、風を感じながら、
少しだけ息が上がるくらいのペースで。
体力は、世界を映すレンズみたいなものだ。
そのレンズが澄んでいるほど、
見える景色の奥行きも、光の深さも、変わってくる。
歩けるうちに、歩こう。
森の中の湿った空気に触れながら、
「いま」を感じられるうちに。