子どもの頃から北海道民である僕は、
クワガタといえばミヤマ。
本州では山の虫という印象が強いけれど、
北海道ではその存在感がまったく違う。
つまり、個体数が多いのだ。
2024年の7月柳の木の上で、
ミヤマクワガタをみつけた。
大人になってから実際にじっくりと見ると、
その魅力はもっと繊細でもっと深いと思った。
目に入ってくるのは、
体表を覆う細かい毛の柔らかさ。
冷涼な環境を好む典型的な北方系クワガタだから、
北海道の気候と、ブナ・ミズナラを中心とした落葉広葉樹の森が、
彼らにとってはとても理想的なのだろう。
オスのミヤマクワガタを眺めていたら、
隣にもう一匹、オスが現れた。
そして数秒後には、メスを巡って激しい争いが繰り広げられたのである。
もちろん、僕は声を出しながら応援した。
いつのまにか大人になり、
クワガタは捕まえる虫ではなく、見る虫となった。
写真をやっていると、昆虫少年だった自分と、
今の自分がひとつの線でつながる瞬間がある。
その時間が、僕は好きだ。

気がつけば、この数年ずっと同じ問いを胸の中で転がしている。
人間の都合や予定表とは無関係に、
森の水は流れ、彼らは生まれ、
そして消えてゆく。
今年、オサムシの本をつくりたいと思ったのは、
使命感というより、その沈黙に手を触れたかったからだ。
生き物のまわりにある時間の厚みを、
ページの中に少しでも閉じ込めてみたい。
北海道の自然を守りたいという言葉も、
森を歩くたびに自分がこの土地からどれだけのものをもらってきたのかを、
しずかに思い知らされるから、恩を返したいというだけかもしれない。
写真家としてできることは限られている。
でも限られているからこそ、
逃げずに積み重ねたいものがある。
未来の子どもたちに
「こんな景色昔はあったんだよ」
と写真で説明するような世界にはしたくない。
守ろうというより、
残したいものがあるというだけの話なんだろう。
たとえ誰にも見向きもされない生き物であっても、
ただ静かに見守り、撮影をする。
そういう日々の重なりがいつか、未来をつくると信じている。
