極相原生林。
森が成熟し、日向よりも日陰を選ぶ陰樹が優勢になるステージのこと。
そこに足を踏み入れると、
空気はひやりと重く、
湿り気が肌にまとわりつく。
トクサの群落が地面を覆い、
脇からはエゾアカガエルが
突然ぴょん、と飛び出してくる。
この森は、長い時間「人の手が入らなかった」ということを
倒れた太い倒木が静かに物語っている。
ツヤハダクワガタ。
ずっと北海道で出会いたかった、
原始的なクワガタムシだ。
最初は遠目でオニクワガタだと思ったが、
近づくと、丸く張った腹部と、
内側に湾曲した独特の大あごが目に飛び込んできた。
ツヤハダクワガタは、一生のほとんどを朽木の中で過ごす。
光を求めず、派手に飛び回るでもなく、
ただ木と木のあいだで、
静かに時間を積み重ねて生きている。
普段、環境を壊すような採集は避けている僕にとって
この手の生き物との出会いは運のようなものだ。
蚊が身体中にまとわりつこうがどうでもよくなり、
気づけば地面にひざをつき、彼の動きを追っていた。
触ると、意外にも硬く冷たい。
甲虫特有の装甲のような光沢。
黒に見えながら、よく見ると深い褐色の層が潜んでいる。
「昆虫を肌と呼ぶ」なんて、
名付け親はどれだけこの生き物を愛していたんだろう。
名前に込められた情熱さえ想像できる。
ツヤハダクワガタは、
“クワガタの祖先に近い姿”とも言われる。
クロツヤムシとクワガタの中間のような存在。

分類を見ているだけで、歴史を遡る感覚になる。
最近、どんな生き物を見ても
その背後の進化が気になってしまう。
自分がどれだけ人間的な分類思考に毒されているのか笑ってしまうほどだ。
けれど、分類の向こう側にある「物語」に気づけた瞬間、
生き物への距離がぐっと近づくことがある。
ツヤハダクワガタは、まさにそのひとつだと思う。
ツヤハダクワガタを見つけたとき僕が嬉しかったのは、
希少性ではない。
折れた木も、腐りきった枝も苔むした暗がりも、
すべてが誰かの居場所になっていること。
森は、誰かが派手に生きる場所ではなく、
すべての命の居場所を、
静かにつくり続ける場所なのだ。
