浅間山。
自分にとって昆虫写真の恩師である海野和男先生に、
今年も逢いに行った。
僕は毎回同じことを思う。
ここには僕の原点がある、と。
海野和男さん。 昆虫写真を志した者なら、 誰もが一度はその名を胸に刻むだろう。
けれど僕にとっては、憧れの写真家という言葉では足りない。
初めて会ったあの日からずっと海野さんは、
僕の背中を押してくれる人であり、
少年時代昆虫という世界の深さを示してくれた案内人であり、
そして、写真家として生きる勇気をくれたヒーローだ。
長野県には、不思議と北海道に通じる匂いがある。
標高があるぶん夏でも風が冷たく、
雲の影が大地を横切る様子を見ていると、
どこか道東の高原を歩いているような感覚になる。
クジャクチョウが飛ぶ姿を見たときは、
一瞬だけ、生まれ育った場所に戻ったような気さえした。
ここ数年、小諸や安曇野でもかつて普通に見られた蝶が確実に数を減らしている。
海野さんの話を聞いていると、
その変化がゆっくり、しかし確実に進んでいることが伝わってくる。
北海道でも同じだ。
「見えるはずのものが、見えなくなった」という事実は、
思っている以上に重く、深刻だ。
そんな変化のただ中で、 安曇野に宮田紀英さんという写真家がいる。
僕と同い年で、蝶を撮り続けている人だ。
宮田さんの写真には、 その土地の時間がまっすぐに写っている。
派手な演出ではなく、そこにある生き物をそのままの距離感で受け止めている。
その誠実さは、どこか海野さんを思わせる。
僕と宮田さんは生まれた場所も違うし、 見てきた風景も違う。
それでも昆虫という世界の見方だけは、 同じ方向を向いている。
海野さんから教わったことは、技術や知識だけではない。
虫をただ写すのではなく、その虫が生きてきた時間や、
風景の奥にある物語をちゃんと見ること。
その教えは、今でも僕の中で息づいている。


